キーワードを読む②「コモン」と柳田国男

編集部

斎藤幸平『人新生の「資本論」』(集英社新書2020)が出版されて以来、「コモン(ズ)」という言葉が再び注目されている。コモンとは一言でいえば社会の公共財産で、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書2000)によれば自然環境、社会インフラ、制度資本などを含む。宇沢は、社会的共通資本の管理・運営は時の政治権力や商業資本によって担われるべきではなく、それぞれの分野の職業的専門家が担うべきと主張する。斎藤はコモンの担い手としての市民を強調する立場から「コモンの〈市民〉営化」を提唱している。

かつてコモンは潤沢であったと斉藤は述べ、宇沢は自然の論理に従い自然と共存する「農の営み」にコモンの原型を見ている。二人に共通しているのは、コモンはかつて人々の営為によって守られていたが、資本主義や工業化の進展によっていま解体の危機に瀕しているという認識だ。私たちはなにを失ったのか。

ところで柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』(文春新書2014)は、個々の農家ではなくコモンとしての農村を経営単位とする農政を宇沢が提唱していることに触れ、宇沢こそが柳田国男がめざした農政学を回復していると評している。日本民俗学創始者として名高い柳田国男とはどんな人物で、コモンとはどんなかかわりがあるのだろうか。

菅野覚明『柳田國男』(清水書院2023)によると、柳田が農村探訪で特に関心を持ったのが農村に昔から残る様々な共同事業の慣行だった。例えば農作業で最も苦しい田植えを、娘たちが新しい菅笠、襷姿で田植え歌を歌いながら担う、いわば祭りと化すことで乗り越えた。これを不真面目な因習として否定し、農業技術の近代化を押し付ける農政改革に柳田は抵抗した。昔がいいといったのではない。むしろこの共同性を生かした近代化を協同組合的な手法で実現しようとした。「コモンを再建し『ラディカルな潤沢さ』を取り戻す」(斉藤幸平)ために、柳田国男は大きなヒントを与えてくれるかもしれない。